
28.03.2007
日本といえば、他のどの国とも異なる国、というイメージが先行する。アメリカと同等の経済的豊かさ、西欧諸国と同等の社会的な安定、中国と並ぶ団結力、全仏教国と同じく精神的に独立し強い集中力を持った国、そして世界のどの国よりも自然に近い国、それが日本である。ブティックや高層ビルの間にある数平米の隙間に、自分の思考・感情の在処を見つけるために自然を創り出す国、日本。最先端技術による製品を世界中に送り出している大企業のエントランスに、寡黙な自然を象徴するように色とりどりの鯉が泳いでいる国、日本。
日本の習慣は、高級ブティックに並ぶ商品のごとく、手が届かない場所にあるように思えるー興味深いけれど、適用不可能。それは、グループよりも各個人が重要視され、社会よりも各個別のグループが重要視される西洋の思想とは相反するように見える。しかし、より注意深く観察してみると、日本と西洋との違いは、個人主義か否かに係ってくるのではなく、日本では、個人が、自分が置かれた環境から突出することなく、その環境と互恵的関係を築くところにある、ということが分かってくる。この観点から見ると、日本のやり方・実践というものは、決して手が届かないものではなく、非常に豊かで我々に多くを教示してくれる有益な経験ということになる。
西洋的考えを持った日本研究者の夢を混乱させる要因は多くある。大企業の社会との関わり方はその一つである。
京都には電子部品の加工、製造、販売を行うRohm社の本部がある。その歴史は、50年代に創業者がレジスターの特許を獲得したところから始まる。その新しい技術は品質を向上させ、レジスターの軽量化に貢献した。その後も技術革新が続き、この小さな会社は創業当時に比べ20倍もの利益を上げるようになり、世界市場に居座り続けることとなった。現在この同社は、アジアに多数、ヨーロッパに一カ所、アメリカに一カ所の開発センターを有する。この企業の生産ラインには、トランジスター、ダイオード、レーザー・ダイオード、センサー、レジスター、ディスプレイなどが含まれる。
一見、Rohm社は世界の他の企業とそう違わないように見える。市場からの需要に応えるための努力、クライアント重視の姿勢が、同社のグローバルな市場に対応するための基本戦略である。この企業理論の結果として、Rohm社の企業経営方法は、利益還元率、雇用者の職業的育成、クライアントの満足度という3つの基本的な基準をクリアすることになる。Rohm社の企業運営はいくつかの基本理念を設けている:品質を保証するプログラムを通じて相応の利益を確保する、技術革新を実現しつつ世界をリードする製品を作る、優秀な人材を発掘し、長期的繁栄の建設的な基礎となるよう育成する。これらの基本理念は、Rohm社の品質保証や人材育成の各具体的プログラムの中に活かされている。
Rohm社の、伝統的な企業精神との類似点はここまでである。Rohm社のクライアントに対する視点は他社のそれと大きく異なる。Rohm社は、クライアントを比較的高い購買能力を有する国民の中に見つけるのではなく、彼らに満足感が得られる可能性を提示することにより、消費を作り出し、クライアントを新たに生み出すことを目標としている。この方法により、同社は成功するビジネス環境を自ら作り出しているのである。
相応の利益、技術革新、人材育成といった要素の他に、Rohm社は自社のポリシーとして、健康的で積極的な生活スタイルの維持、知性そして人間性の向上といった要素を通じた社会貢献を挙げている。同社の使命は「質の高さは私たちの最優先事項である。いかなる状況においても世界市場により多くの質の高い生産物を提供することにより、我々の文化の前進・発展に貢献することを目標とする。」という文章で表されている。この目標は、単に戦略的文書に記されているだけでは無い。この目標が具現化されるために具体的プログラムが用意されており、同社の企業活動と切り離せない一部となっている。これらのプログラムは主に、環境保護、精神・音楽文化の発展・普及(Rohm音楽基金の設立が緊急課題である)、都市環境整備、スポーツ普及を目標に掲げている。Rohm社は、経済的資源、社会的資源そして自然資源が共に共存する健全な社会という概念を、その思想及び行動に取り入れている。
高い技術というものは、高い教養ある消費者の下で発展するものであり、そこでは人々は物質的な消費のみならず、精神的な消費についても関心を有している。物質的に満たされて初めて精神面にも気が行く、という考え方は誤っているだけでなく、多くの場合有害でさえある。なぜなら、そのような考え方は、社会発展を妨げ、技術発展のブレーキとなるからである。
ヨーロッパでは、社会の中の仲介者は国家と政党である。彼らはどうやったら企業の経営が向上するか、より良質の製品を生産できるか、どうやったら人々がより良い暮らしが送れるか、こうした企業の良質の製品を消費できるか、といった質問に答えようとしている。こうした社会に於ける役割分担は、各企業がその所有者や雇用者にとって有益な組織となるよう方向づけるが、社会全体にとって有益となるような方向性は与えない。もし、西欧文明の企業が文化やチャリティーのためにその資金を投入したとしても、多くの場合それは広告目的か、それによって発生すると見込まれる何らかの利益のためである。
資金は公的目的のために投入されていることに変わり無いが、結果は異なる。なぜなら、この場合、資金は彼らのクライアントのところに流れ込むのであり、新たな質の高い消費を生むものでは無く、既に存在している大規模な需要に応えるだけだからである。そのため、この場合存在するのはショーのための資金であり、伝統文化のための資金ではない。伝統文化というものは、政治的機関の担当分野となるわけである。
日本の実践が示すのは、社会的利益と企業利益は互いに交差する点=共通点があり、まさにその交差点で、社会的そして企業的成功が生まれるということである。Rohm社の社会活動がビジネスでの成功に関係したかどうかは難しいところであるが、確かに言えることは、彼らの社会活動は、同社が小規模企業であったときから常に行われてきたものであるが、その企業としての成功の邪魔となったことは無い、ということである。同社の基本理念は3つではなく、伝統的な、利益、人材、クライアントに加えて、社会が加わった4つである。これは、独特のアジア文化が生み出した結果であることは確かであるし、どんな後援促進法も役に立たず、これを実践に移すことが容易でないことも確かである。しかし、素晴らしい企業は、素晴らしい社会にしか存在し得ないというアイディアに、考えを巡らせてみることは我々にも出来る。また、個人や企業の利益というものは、社会の恩恵を通じて実現されるものだ、ということについても考えてみることが出来る。これらのアイディアは全て、日本国民の労働、個人生活、そして社会生活に於ける実直さに、裏付けされているのである。
「日本―一人の音楽家の目を通した経営戦略!」 ヤヴォル・ディミトロフ
ヤヴォル・ディミトロフ・ソフィア・フィルハーモニー理事長、平成18年度国際交流基金文化人短期招聘プログラムで訪日
日本といえば、他のどの国とも異なる国、というイメージが先行する。アメリカと同等の経済的豊かさ、西欧諸国と同等の社会的な安定、中国と並ぶ団結力、全仏教国と同じく精神的に独立し強い集中力を持った国、そして世界のどの国よりも自然に近い国、それが日本である。ブティックや高層ビルの間にある数平米の隙間に、自分の思考・感情の在処を見つけるために自然を創り出す国、日本。最先端技術による製品を世界中に送り出している大企業のエントランスに、寡黙な自然を象徴するように色とりどりの鯉が泳いでいる国、日本。
日本の習慣は、高級ブティックに並ぶ商品のごとく、手が届かない場所にあるように思えるー興味深いけれど、適用不可能。それは、グループよりも各個人が重要視され、社会よりも各個別のグループが重要視される西洋の思想とは相反するように見える。しかし、より注意深く観察してみると、日本と西洋との違いは、個人主義か否かに係ってくるのではなく、日本では、個人が、自分が置かれた環境から突出することなく、その環境と互恵的関係を築くところにある、ということが分かってくる。この観点から見ると、日本のやり方・実践というものは、決して手が届かないものではなく、非常に豊かで我々に多くを教示してくれる有益な経験ということになる。
西洋的考えを持った日本研究者の夢を混乱させる要因は多くある。大企業の社会との関わり方はその一つである。
京都には電子部品の加工、製造、販売を行うRohm社の本部がある。その歴史は、50年代に創業者がレジスターの特許を獲得したところから始まる。その新しい技術は品質を向上させ、レジスターの軽量化に貢献した。その後も技術革新が続き、この小さな会社は創業当時に比べ20倍もの利益を上げるようになり、世界市場に居座り続けることとなった。現在この同社は、アジアに多数、ヨーロッパに一カ所、アメリカに一カ所の開発センターを有する。この企業の生産ラインには、トランジスター、ダイオード、レーザー・ダイオード、センサー、レジスター、ディスプレイなどが含まれる。
一見、Rohm社は世界の他の企業とそう違わないように見える。市場からの需要に応えるための努力、クライアント重視の姿勢が、同社のグローバルな市場に対応するための基本戦略である。この企業理論の結果として、Rohm社の企業経営方法は、利益還元率、雇用者の職業的育成、クライアントの満足度という3つの基本的な基準をクリアすることになる。Rohm社の企業運営はいくつかの基本理念を設けている:品質を保証するプログラムを通じて相応の利益を確保する、技術革新を実現しつつ世界をリードする製品を作る、優秀な人材を発掘し、長期的繁栄の建設的な基礎となるよう育成する。これらの基本理念は、Rohm社の品質保証や人材育成の各具体的プログラムの中に活かされている。
Rohm社の、伝統的な企業精神との類似点はここまでである。Rohm社のクライアントに対する視点は他社のそれと大きく異なる。Rohm社は、クライアントを比較的高い購買能力を有する国民の中に見つけるのではなく、彼らに満足感が得られる可能性を提示することにより、消費を作り出し、クライアントを新たに生み出すことを目標としている。この方法により、同社は成功するビジネス環境を自ら作り出しているのである。
相応の利益、技術革新、人材育成といった要素の他に、Rohm社は自社のポリシーとして、健康的で積極的な生活スタイルの維持、知性そして人間性の向上といった要素を通じた社会貢献を挙げている。同社の使命は「質の高さは私たちの最優先事項である。いかなる状況においても世界市場により多くの質の高い生産物を提供することにより、我々の文化の前進・発展に貢献することを目標とする。」という文章で表されている。この目標は、単に戦略的文書に記されているだけでは無い。この目標が具現化されるために具体的プログラムが用意されており、同社の企業活動と切り離せない一部となっている。これらのプログラムは主に、環境保護、精神・音楽文化の発展・普及(Rohm音楽基金の設立が緊急課題である)、都市環境整備、スポーツ普及を目標に掲げている。Rohm社は、経済的資源、社会的資源そして自然資源が共に共存する健全な社会という概念を、その思想及び行動に取り入れている。
高い技術というものは、高い教養ある消費者の下で発展するものであり、そこでは人々は物質的な消費のみならず、精神的な消費についても関心を有している。物質的に満たされて初めて精神面にも気が行く、という考え方は誤っているだけでなく、多くの場合有害でさえある。なぜなら、そのような考え方は、社会発展を妨げ、技術発展のブレーキとなるからである。
ヨーロッパでは、社会の中の仲介者は国家と政党である。彼らはどうやったら企業の経営が向上するか、より良質の製品を生産できるか、どうやったら人々がより良い暮らしが送れるか、こうした企業の良質の製品を消費できるか、といった質問に答えようとしている。こうした社会に於ける役割分担は、各企業がその所有者や雇用者にとって有益な組織となるよう方向づけるが、社会全体にとって有益となるような方向性は与えない。もし、西欧文明の企業が文化やチャリティーのためにその資金を投入したとしても、多くの場合それは広告目的か、それによって発生すると見込まれる何らかの利益のためである。
資金は公的目的のために投入されていることに変わり無いが、結果は異なる。なぜなら、この場合、資金は彼らのクライアントのところに流れ込むのであり、新たな質の高い消費を生むものでは無く、既に存在している大規模な需要に応えるだけだからである。そのため、この場合存在するのはショーのための資金であり、伝統文化のための資金ではない。伝統文化というものは、政治的機関の担当分野となるわけである。
日本の実践が示すのは、社会的利益と企業利益は互いに交差する点=共通点があり、まさにその交差点で、社会的そして企業的成功が生まれるということである。Rohm社の社会活動がビジネスでの成功に関係したかどうかは難しいところであるが、確かに言えることは、彼らの社会活動は、同社が小規模企業であったときから常に行われてきたものであるが、その企業としての成功の邪魔となったことは無い、ということである。同社の基本理念は3つではなく、伝統的な、利益、人材、クライアントに加えて、社会が加わった4つである。これは、独特のアジア文化が生み出した結果であることは確かであるし、どんな後援促進法も役に立たず、これを実践に移すことが容易でないことも確かである。しかし、素晴らしい企業は、素晴らしい社会にしか存在し得ないというアイディアに、考えを巡らせてみることは我々にも出来る。また、個人や企業の利益というものは、社会の恩恵を通じて実現されるものだ、ということについても考えてみることが出来る。これらのアイディアは全て、日本国民の労働、個人生活、そして社会生活に於ける実直さに、裏付けされているのである。

